心肺停止と蘇生

仕事を終えて家路に向かう車中、Kちゃんの主治医から突然電話がきた。 「Kちゃんが心肺停止してしまったんです。蘇生処置を何度か行って、今、持ち直したのですが、こちらへ来られますか?」と言われ、こちらの心臓も停止するほどのショックを受けた。「即行、行きますよ!」と電話を切ったあと、そのまま高速に乗り、病院へ車を飛ばす。リハへ着くと、Kちゃんは個室へ移動していて、挿管されてぐったりしていた。いつも緊張で足が胸まで上がり、ダンゴ虫のようなKちゃんなのに、この時はピクリともせず、たくさんの看護師とDrに囲まれている。その緊迫した雰囲気が、Kちゃんの容態を想像させた・・・。

このまま意識が戻らなければ、植物人間になってしまう・・、と察し、「ど~して手足の振戦が全くないんでしょうか?」と聞くと、みんな押し黙ったまま・・・。やはり、そういうことなのか?と感じて、このまま持って行かれるのか?と怖くなり、わざと元気に、「Kちゃん、おかあしゃん来たよ~♪怖かったでしょう?」と話しかけ続けた。言葉とは裏腹に心の中は必死だ。戻って来い!戻って来い!と心の中で叫びながら話しかけていたら、やっと、Kちゃんの手が動いてくれた。「動いた!戻ってきた!Kちゃん、もう大丈夫だよ~!」と叫ぶと、看護師さんたちも、よかった~という表情に変わり、「Kちゃん!よかった!あ~よかった~!!」と叫び始めた。

師長さんに涙ぐまれながら、「大変申し訳ないことをしました!許して下さい!」と言われ、その後主治医にも謝られたが、怒るどころか、よくぞ助けてくれたと感謝の気持ちでいっぱいだった。三途の川を見てしまったKちゃんを、これ以上怖がらせないよう、とにかくKちゃんの前では涙を見せずにいようと明るく振る舞い、いつもと同じように接していたら、緊張が治まり眠ってくれた。後で、心肺停止の理由を聞いてみたところ、これと言った原因は解らないらしい。お風呂に入れたあと、車椅子に座らせておいたら、うつむいたままの状態で、心臓が停止していたというのだ。おそらく発作が続いて下を向いていた為、気道が狭くなり息が出来ず、心臓が止まってしまったのかもしれない。それからは、車椅子は使用せず、ストレッチャーを使用して貰うよう頼み、ストレッチャータイプの車椅子を早急に作製することにした。

私はこの心肺停止事件から、ずーーっとある想いに捕らわれている。それは、Kちゃんを三途の川から引きずり戻したことが、ほんとうによかったのだろうか・・という悩み・・・。相変わらず続く緊張と発作に耐える日々に、逆戻りじゃないのか?どんなに苦しくたって、変わってあげることが出来ない私が、Kちゃんを呼び戻す権利がいったい何処にあるというんだろう?もしかしたら、Kちゃんは逝きたかったのかもしれないと思うと、自分はとんでもない間違いを犯してしまったんじゃないだろうか?現在もたびたびこのことを考えると、涙が止まらなくなってしまう。

イレウスの手術と腹壁閉鎖術

平成15年9月23日、突然嘔吐して高熱が出たKちゃんは、隣のこども病院へ転院した。最初レントゲンを撮った結果から、便が溜まっていると言われていたのだが、2日経っても一向に出ない。その後容態が悪化したため、緊急オペとなったのだが、お腹を開けてビックリ!なんと腸の一部が屈曲していたため、小腸が圧迫されてパンパンに腫れあがり、穴が開きそうな箇所が3つもあったのだ!先生が真夜中だというのに、心配だからオペをしたいと言ってくれなかったら、今頃どうなっていただろう?小腸を20cmほど切断し、繋ぎ合わせるという大変なオペになってしまった。

ラコール寒天が原因かと大後悔したが、外科医に確認した所、緊張が続いたせいで腸が癒着した事が原因と解り、ホッと一安心。しかし、ホッとしたのもつかの間、オペ後の痛み止めを切る段階になって、私が「Kちゃんの緊張はハンパじゃないので、筋弛緩剤をすぐには切らないでほしい」と散々お願いしたにも拘らず、通常通り切られてしまったために、予想した通り大緊張が襲ってきてしまった。可哀想なKちゃんはこの痛みに2日間耐えたあげく、ついに縫ったところがパックリ開いてしまったのである!筋肉が裂けるなんて考えられない。どれだけ痛かったことだろう?!またまた縫い直しのため3時間半にも渡る緊急オペとなってしまった。

私の怒りはピークになり、「あれほどお願いしたのに、何故聞く耳持たなかったのか!」と外科、麻酔科、神経科のDr並べて怒鳴りまくった。痛ければ泣くだろうという解釈で、泣かないKちゃんを「痛み無し」と考えてしまったようだ。どうにも怒りは収まらない。 「あの子の耐える力はハンパじゃない。決して親バカで言ってると思わないでほしい!」とギャーギャー文句を言ってしまった。

結局Kちゃんを苦しませないと解らないって事に腹が立つのだ。先生方もひたすら謝っていたが、私じゃなくKちゃんに謝ってほしいとお願いする。やっと大緊張を理解してくれた先生方は、このオペ後、筋弛緩剤を慎重に切ってくれるようになった。

しかし、二度の筋弛緩剤の使用は、Kちゃんの体力を奪い、病気の進行を早めることになる。JHDの最期の症状と言われる重責発作が襲ってきたのだ。波のように押し寄せる発作に手も足も出ない。薬は全てKちゃんの体重から計算した使用範囲を倍以上も超えていて、T先生も止まらない発作に「考えられない・・・」とため息をついてしまった。体に触れただけで発作が更に酷くなるため、ただ、ただ見ているだけ。目はカッと見開いたまま瞳が左右に動き、充血して涙が溢れている。このまま、ほおっておくと目に潰瘍が出来てしまうため、軟膏を塗りサランラップで目を閉じて貰う。体はガクガク動き、もうはっきり言って見ているのが辛い。一瞬、Kちゃんが意識を取り戻した目をした時、おもわず、「Kちゃん、もう十分頑張った。これ以上頑張らなくていいから!」と耳もとで囁き続けていた。本気で、亡くなったばあちゃんに「連れてっていいよ」とお願いしていた。グチャグチャな気持ちのまま、面会を終えてこども病院を出ると、目の前にあるリハが目に飛び込んでくる。そのたびに、どうして こんなに近くにあるのに帰れないんだろう・・・、と目が潤んでしまう。

もうリハに帰れるなんて絶望的なことなのに、リハのスタッフはKちゃんのベットは誰にも貸すつもりはないと言い、STの先生がパウチッコしたKちゃんとカメくんの写真をベッドに下げて待ち続けてくれていた。 リハの師長さんからも、「スタッフはKちゃんとカメの写真に、毎日声をかけてるんですよ」と暖かい言葉をかけて貰って滝のように涙が出た。改めてKちゃんはやっぱり天使なんだ・・と思った。こんなに可愛がって貰えるなんてありえない。リハに帰りたい・・・。