発病

小学一年の夏休みがもうすぐ終わろうとしていた平成10年の8月22日、ゲームセンターのボールのお部屋で遊んでいたKちゃんが、突然てんかんの発作を起こした。当時てんかんの知識に乏しかった私は訳が解らず、発作が終わって大泣きするKちゃんを、急いで町医者へ連れて行き、状況や症状を説明すると、「すぐに大きな病院へ連れて行って診察して貰った方がいい。」と言われ、何か得体の知れない恐怖を感じて怖くなった。

次の日、市内にある総合病院へ行き、脳波や心電図などの検査をしたのだが、その日を境にKちゃんの発作は、頻繁に起きるようになってしまったのである。発作の衝撃を聞くと 「たくさんのお兄ちゃんが、みんなでボクの頭を踏んで行った!」「知らないお兄ちゃんが、ボクの頭に大きなボールをぶつけていったの!」と言う。それほど怖い思いをしているんだと思うと可哀想でならず、発作のたびに病院へKちゃんを連れて行き薬を変更して貰ったのだが、薬を増やしても変えても発作は止まらず、同時に手足に小刻みな振るえが出てくるようになった。二学期の冬には、振るえは更に酷くなり、字を書くのも難しくなっていた。

みんなに励まされて

そんな中、校内マラソン大会が行われ、「Kちゃんは完走が目標♪」と先生方と見守りながら応援していたのだが、足が震えて絡んでしまい、何度も転んでしまってた。バランスもとりづらくなっている為、まっすぐにすら走れない。事情を知らない父兄の中には、「なんかあの子、走り方おかしくないか?」と言っている人もいたのだが、何度転んでも立ち上がってニコニコしながら走り続けるKちゃんに、みんな次第に目を奪われるようになっていた。そして最後には、全校生徒、先生方全てが「Kちゃん 頑張れ〜〜〜!!」と応援してくれたのである。転んでは立ち上がりやっとゴールしたKちゃんを、特学の先生が強く抱きしめてくれて、ワ〜〜〜〜〜!!という大歓声に学校が揺れた。まさにKちゃんからオーラが見えた瞬間だった。

またある日、職員会議で担任の先生が席を外し自習していた時、Kちゃんが突然発作を起こしてしまったことがあった。クラスのお友達が慌てて職員室へ飛んで行き、先生を連れてきた時、Kちゃんをたくさんのお友達が取り囲んで、体をさすってくれていたそうだ。感動した先生からその話を聞いた私は、子供たちの思いやりの深さに胸を打たれた。

帰り際、お友達から「Kちゃん、ちゃんと病院で診て貰うんだよー。」「もう 倒れちゃ駄目だよー。」と声をかけて貰って 「ウン♪」とニコニコしていたKちゃん。もうすぐ二年生に進級する時期に指しかかっていた。小学校へ来てほんとうによかった♪心からそう思えるようになっていた私だったのだが、病気は待ってはくれなかった。

小学校とお別れ

総合病院に通院して半年経った頃、どうにも止まらない発作についにお手上げになったDrに、「ここではこれ以上の治療は無理」と言われてしまい、再びこども病院へ行くことになった。てんかん専門のT先生なら、発作を止められるかもしれないと、片道一時間かかる病院へ、ワラをもすがる思いで通い始めた。この頃のKちゃんは、手足の震えは更に酷くなり、口も舌も震えるため、お話もしづらくなっていたのだ。言葉を少しでも良くしてあげたいと思い、この時期から隣町にある福祉センターで、言語の訓練に通っていたのだが、ほとんど歩けなくなっていたKちゃんは、いつも私におんぶされていた。そしてついにT先生から「養護学校への転校を考えた方がいい」と勧められる。

小学校での様々な思い出が頭の中を駆け巡り、残念な気持ちでいっぱいになったが、Kちゃんは十分過ぎるぐらい頑張ってきたし、先生方やお友達にも感謝しきれないくらいお世話になってしまった。これからは、Kちゃんの身の安全を一番に考えていかなければならない、と踏ん切りをつけて、養護学校への転校に踏み切ることにしたのだった。Kちゃんに解って貰えるだろうか?それがとっても心配だったが、事実をそのまま伝えて、元気になったらまた小学校に戻ってこようネと何度も話して、転校の手続きをとった。転校の前日、「Kちゃんが帰ってくる日を待っていますから。さよならは言いません。」と泣きながら話す先生方に、その日が迎えられたら・・と胸をいっぱいにしながら、Kちゃんの手を引いて小学校とお別れした。「バイバ〜イ♪」と元気に叫ぶKちゃんの声が、いつまでもみんなの心に刻まれた日だった。

養護学校へ

二年生に上がったばかりの平成11年の5月14日に、養護学校へ転校したKちゃんは、始めの頃、「ボク、前の学校がいい・・」と時々こぼしていた。その言葉を聞くと罪悪感でいっぱいになってた私は、「病気が治ったら戻ろうね♪」と励ますのが精一杯。小学校の時のように、Kちゃんに学校生活を楽しんで貰えたらと毎日祈っていた。そんな時、幸いな事に養護学校の運動会が春に行われると知り、転校早々大好きな運動会に参加できるということで、学校に早く馴染むことが出来たのだ。おまけに先生方の配慮で、選手リレーの選手にも抜擢して貰い、当日は病欠したお友達の代走もしたりして、大活躍であった。

その他にも、乗り物好きのKちゃんの心を、養護学校の大きなバスが、しっかりと掴んでくれた。登下校にバスに乗れると解ると「ワ〜イ!ワ〜イ!」と喜んで「ボク、バスに乗るんだよね♪」と楽しみにしてくれるようになったのだ。そんなこんなで、養護学校へ通い始めて10日も経たないうちに、「お母しゃん!早く養護学校行こ♪」とせがんでくれるようにまでなっていた。そして、ここでも中等部のお兄ちゃんに、校庭の中庭を自転車の後ろに乗せて貰ったり、バスの乗り降りにも面倒を看て貰ったりと、とっても可愛がって貰っていたのである。

毎日バスの到着時間までに仕事を切り上げ駆けつけていた私は、バスから降りると同時に、Kちゃんが嬉しそうに話してくれる学校でのお話を聞くのが、とても楽しみだった。それでも病気は待ってはくれない。一学期の終わりには、手足の震えは更に酷くなり、食事の面でも咀嚼が難しくなってきてしまい、何度ももどすことが多くなってきた。薬もそれと並行してどんどん増えていたので、眠くなるという副作用が出て、学校へ着くなり寝てしまうことも頻繁になってくる。それでも、Kちゃんは大好きな学校を休むとは言わず、日直など責任ある仕事を任される時は、頑張ってやりとげていたのだった。