発行日 2024年4月
編 集 JHDN事務局
発行元 日本ハンチントン病ネットワーク

目 次

◇ ごあいさつ
◇ プチ50号を記念して
◇ 総会のご案内
◇ 関西交流会の報告
◇ 新会員の自己紹介(会員限定)
◇ 会員だより ♤ みんなの近況(会員限定)
◇ お悔み(会員限定)
◇ HDと40年 ~50号によせて~

ごあいさつ

新代表 白土 伸也

 4月よりJHDNの代表を務めさせていただくことになりました白土伸也です。どうぞ、よろしくお願いします。はじめに、前任者のあにどるさんのご尽力に、深く感謝申し上げます。あにどるさんのリーダーシップと心のあたたまる活動により、JHDNは様々な方々から信頼をいただき、発展を遂げることができました。


 今後も私たちのコミュニティの結束を強化し、会員の皆様の心のよりどころとなるような場として多くの方に参加していただきたく思います。根本的治療法ができる日が来るまで、安心して相談できる環境を構築し皆様に貢献できることが大切と考えています。また、新たなプログラムやイベントの企画と実施を通じて、皆様に多くの価値を提供していきたいと考えています。


 引き続き、皆様からのご支援と協力を承りたく、私自身も全力で努め、尽力してまいります。皆様からご意見や提案を賜り、共に成長し、発展していくことを心より願っています。
最後に、今後もJHDNの一員として、共に歩んでいくことを楽しみにしています。

祝!プチ★ニューズレター50号

武藤 香織

 JHDN設立からそろそろ25年、そしてプチ★ニューズレターが50号という節目になりました。皆さんは、プチ・ニューズレターの「プチ」って何だろうと思ったことはありませんか? 「プチ」とは、フランス語で「小さな」という意味です。その理由は、プチ・ニューズレターの前身として、「JHDNニューズレター」が3号発行されていたという歴史に遡ります。当時は、JHDNが発足したばかりで、定期発行が見込めない一方、その都度、寄付や補助金を頂き、プロのデザイナーにレイアウトを作って頂いた紙面でした。


 最初に制作した「JHDNニューズレター」は、2000年春に発行された、国際患者会と国際学会の参加記念号でした。故・金澤一郎先生、現在もJHDN科学顧問を務める石黒啓司さん、そして当事者のかすみちゃんが国際会議の感想を寄稿しています。2001年春に発行された「第1回JHDN関西地区春のお茶会、第2回JHDN関東地区春のお茶会記念号」では、8名の参加者からの感想文や介護保険の活用法などが掲載されています。その表紙は参加者の記念写真でしたが、全てのお顔がぼかされていました。しかし、2002年夏発行の「特定疾患名称変更記念号」の表紙は、JHDN代表だった宮岡由紀さんのお兄さん・オッチャンの「ぼかし」のない写真で、12名の当事者からの寄稿を掲載しました。新しい時代がやってきたな、とワクワクしたのを覚えています。


 「気軽に、自分たちで定期発行したい」というご意見を受けて、2001年に「プチ★ニューズレター」の第1号が白黒コピーの両面版でスタートしました。それから50号目の節目を迎えましたが、これまで皆さんからお預かりする会費の範囲で、そして皆さんの声を最大限に活かして発行してきたなと感じます。これからもどうぞ宜しくお願い致します。

2024年度 ハイブリッド総会・交流会のご案内

 今度のJHDN総会は、会場とインターネットによるオンライン形式の両方でのハイブリッド形式にて開催します。会場参加またはオンライン参加いずれか、ご都合のよい方法でご参加ください。


 お申し込みは、5月31日までに別紙の出欠票をご返送いただくか、グーグルフォーム(別紙QRコード)で事務局にお知らせください。皆様のご参加をお待ちしております。


日時:2024年7月6日(土)13:30~17:00  開場13:00

場所:東京駅周辺の会議室

プログラム(仮)

13:30 総会
14:30 講演
15:30 交流会
17:00 終了
17:30 懇親会(希望者のみ)

関西交流会のご報告

しのらー

 2023年度関西交流会は11月25日(土)13時半-16時半に新大阪駅近くのTPK新大阪ビジネスセンターのカンファレンスルームで開催されました。前半は講演会、後半はグループに分かれての情報交換の2部構成で参加者は講師やボランティアを含め26名(うち初参加は6名)でした。

 講演会では京都大学大学院医学研究科ゲノム医療学講座特定教授である和田敬仁先生より「遺伝カウンセリングの紹介」をテーマにお話いただきました。和田先生からは遺伝カウンセリングについて目的や流れ、費用などの説明に始まり、事前に患者会メンバーに募った質問について回答する形で相談内容や相談頻度などをお話いただきました。
 遺伝カウンセリングについて初めて知る人にとっても以前から知っている人にとっても前のめりになる講演でした。最終的に遺伝カウンセリングは受ける、受けないは個人の判断ですが、様々な支援や取り組みを知り、それについて考える機会を与えていただけるのは非常に有益なことだと思います。


 続いてJHDNスタッフのマキさんより「ハンチントン病の介護と福祉サービス~困り事から必要な支援を考える~」というテーマのもと1. 困り事に応じた支援、2. 介護福祉サービスの実際などをお話し頂きました。
 はじめに「本人と家族の訴えに耳を傾ける」というタイトルでマキさんのご長男さんにビデオに出演していただき、「本人が何を訴えているのか」から支援の内容を考えました。判らない時には動画を使って説明できるのは良いということでした。
 次に介護福祉サービスの実際です。このサービスはハンチントン病の診断がされており、40歳以上で保険料を払って認知症を発症していれば使うことができます。
 介護保険は介護度に応じて支給されるサービス上限まで全て受けるというよりは必要なサービスを的確に受けることが大切であること、さらに介護保険でカバーできないサービスは障害者総合支援法に基づくサービス(介護給付や補装具の購入補助など)を受けることができます。給付にあたって障害支援区分の認定をしていただく必要があります。参考例は私(しのらー)の妻のものですが、個人的には全てのことを理解し、自分だけで対応するのは非常に難しいと思います。そのためケアマネージャーさんだけでなく妻を支援頂いている全ての方に「妻の支援に対しての考えや要望、自分自身が出来ること」を伝え、今の形となりました。
 最後に障害年金の話でした。障害年金申請に関わる「病歴・就労状況等申立書」の記入例が示されており、判り易かったです。「記憶より記録が大事!」と言うことはその通りだと思いました。

 交流会では4つのグループに分かれて「歯科・介護・告知」のテーマをもとに意見を交わしました。まず各々の立場や現在に至るまでなどの自己紹介から始まり、予め設定されたテーマについて意見を交わすうちにフリートークになったグループもありました。同じ病に関係し、同じ立場だから悩みを打ち明け、尋ねることができる場として活発な意見交換があちこちのグループで見受けられました。交流会の醍醐味は普段、病気に関係することで孤立しがちな会員同士が直接会って、自分の不安や悩みそして喜びや時には怒りをシェアし、発信された内容についての多角的な意見を知ることで明日への希望にする機会だと思います。なので一人で悩まずに是非参加して頂きたいです。

 最後になりましたが、オブザーバーの和田先生、ファシリテータの大澤さん、松川さん、ボランティアのじんじんさん(腎性尿崩症友の会)そして関西交流会を準備いただきましたイケおじ三人衆さんには心よりお礼申し上げます。

新会員の自己紹介

会員限定です

お悔やみ

会員限定です

会員限定です

HDと40年~プチ★ニューズレター50号に寄せて~

shibu

 HDと初期の出会いから40年が経過しました。その間JHDNに加入させてもらい事務局スタッフの方々や関係者、全国の会員の皆さんのネットワーク(しかもグローバルに)が継続されていることに会員の一人として心強く勇気をもらっています。今回プチ発行50号の区切りに改めて私なりのまとめをしてみました。みなさんの参考になれば幸いです。

 波打つような格好で歩いてるんだよなぁ・・・。HDとの出会いを聞かれると必ず浮かんで来る光景です。何回か転んだので頭でも打ったかしてふらつくのよね、と婚約時代に妻が話してくれたのを覚えています。義母の診断は老人性舞踏病(何人かの精神神経系の先生で判らず当時としては先進的診断の出来る先生の診断名)でした。ほかに脊椎小脳変性症であろう患者もいる病院に検査入院となり薬漬けにされ反って体調悪化させられた記憶が甦りました。思い出すと当時は遺伝性疾患とは全く知らない、知らされない時代でした。(私だけがそう思っていたのかもしれませんが)40年前の話しです。なので結婚や出産に対する向き合い方も一般的社会通念に添ったもので医療的疑問や心配などは皆無でした。その後は老人専門(現療養型併設)病院を経て特別養護老人ホームにお世話になり73才で他界しました。それでもこの時代としては医療、看護、介護と手を尽くせる環境の中にいた方かと思います。発症から20年は優に過ぎてましたから。
 その人の娘である妻は共働きをしながら二人の子供を育ててきました。50代で発症。確定診断、退職。言語や歩行、体幹リハビリ、鍼灸マッサージなど社会資源を最大限利用投薬は最小限にしての生活でした。その後、在宅介護、デイサービス、有料ホームと生活環境の変遷を経て母親より長生きの域に入っていましたが胃瘻生活になり昨年旅立ちました。(発症時、金澤先生を師とする小川先生にも恵まれました。)
 20年程前長男が結婚することになりました。私は息子が相手に自分の母(私の妻ー発症後5年程経過)の事をどう話ししたのか気になり私が説明しようかと迷って「彼女にお母さんの症状は話したの?」と聞いたのです。そうしたら「何とか話したよ」と返事してくれました。しかし理解、納得といった状態でなかったことが数年経ってから分かりました。妻の発症が顕著に分かるようになった20年前頃二人の子供達は学生から社会人の生活を始めようとしていた時期になります。それから5年の間母の姿を観てきた訳です。HDを理解しようと4人でJHDN の交流会にも参加しました。百聞は一見に如かずで同じ境遇の人と直接体験した方が分かり合えると判断したからです。不確かではあったけれどHDはこんな感じなんだと受け止めたようでした。しかも私の日常的な介護、介助を観て来ていたので受け止め易かったかもしれません。しかし、息子の結婚相手は彼の説明ではあやふやにしか受止められなかったようです。当然だとは思いますがやはり顕性(優性)遺伝が一番気がかりだったようで、その事を私から話されなかったことを責めたかったのです。私は息子の説明で相手の彼女が直ぐに理解し納得出来るとは思っていなかったので想定内として自分の気持ちをハッキリと言ってもらったことに感謝しました。そして三人で話し合いをすることになった時、はからずも息子が言った言葉は「カミングアウトをするか、しないかで誰かが悪い訳じゃない、誰も悪くない!(悪いのはHDなんだと言おうとしてその言葉が出てこなかったのだろうと私は解釈 )」その後二人の間に子どもが生まれました。出産時、障害がある可能性を主治医から告げられ遺伝性課題に更に拍車がかかる状態になったのです。ズゥーとわだかまりが続きました。彼女はHD を引き継いだと思っていたからです。(私は違うと確信していました。) しかし、子供の主治医に聞いたり、自分で調べたりしてむしろ自分の遺伝子に依るものであることがわかり、ハッキリと違いが明らかになることで徐々にわだかまりが小さくなりました。○○○○症候群という難病でした。今、息子夫婦、特に彼女は自分の置かれてる環境と私(達)のそれとが同じ立ち位置にあることをそれとなく感じているようでした。


 現在HDを遺伝性疾患の典型例とする考えは医学会では抑制しているように感じます。がんの発症が二人に一人だとか、出生前診断やDNA鑑定やゲノム編集、医療等過去を引き継ぐ全ての生命体を解析出来る時代になり遺伝性疾患が特異ではなくなってきているのではないでしょうか? ips細胞等細胞学の研究も世界的に行われて医療現場に生かされてきています。はっきりした時期は忘れましたが息子が発症前確定診断をしたとの話を聞きました。明確には教えてもらえませんでしたし、こちらも深く聞きませんでした。   

 私(達)の長女は発症前確定診断をしていませんが、その間の経過をズッと見聞きして来ました。彼女も結婚を選んだのですが、その時私に話したのはHD について「色々調べて見たり聞いたりしてもわからない、結論でない。結局全て発症した時に考えればいいじゃない?」という一言でした。今、彼女は一児の母親として忙しく日常生活をこなしています。夫であり父親となった相手もHD の交流会に参加したり私(達)のことを観てきてはいます。しかし「発症」の時どうするかの課題は常にあります。それは長男も同じです。「発症した時に考える」それでその一言で私(達)家族は精一杯日常を活きています。勿論HD を含む遺伝子治療、ゲノム医療や投薬などの情報収集提供を図りながら難病克服の希望を持って。

※優性遺伝は、現在、顕性遺伝にかわっています


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